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ドイツ騎士団

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ドイツ騎士団

 十字軍騎士団といえば、既出のテンプル騎士団、聖ヨハネ騎士団に加えてドイツ騎士団が挙げられます。ドイツ騎士団はプロイセン王国の前身であると同時に現在も存続しています。

 ドイツ騎士団は、十字軍失敗の後バルト海方面に進出して異教徒を征服し、ドイツ騎士団領と称される領土を獲得しました。その後、ドイツ騎士団はルターの宗教改革の影響を受けてカトリックからプロテスタントに改宗し、1525年、ドイツ騎士団領の名称をプロイセン公国に改め、騎士団総長がプロイセン公となりました。

 その後、プロイセン公国を設立した時の騎士団総長の直系子孫が存在しなくなったため、プロイセン公の親類であるブランデンブルク辺境伯領と合併して、プロイセン王国となりました。現在のドイツ連邦の前身です。

 ドイツ騎士団がプロイセン公国になったわけですから、ドイツ騎士団は「発展的解消」した筈ですが、前述の通り現在も存続しています。それはカトリックからプロテスタントへの改宗を拒否した騎士団員たちがプロイセン公国に加入することなく、別の場所に移動して、そこで騎士団を存続させたからです。


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インド国民軍の興亡 その3 ~降伏そしてインド独立~

 インド国民軍はインパールからの撤退後もイラワジ川会戦等の各種退却戦に参加したものの、ビルマ国軍がアウンサン将軍の指揮の下、一斉に日本軍に対して叛旗を翻したためタイに撤退し、そこで第二次大戦の終戦を迎えました。

 インド国民軍は日本軍とともにイギリス軍に降伏しましたが、ボースはロシアの支援を受けてインド独立を目指すべくロシアへ向う途中、台北で航空機事故により死去しました。

 イギリスはインド国民軍将兵を国家反逆罪で裁判にかけましたが、逆にインドの人々の反発を買い、一気にインド独立の気運が高まって行き、ストライキや暴動が頻発するようになりました。そして1946年2月には英印軍の水兵たちが蜂起して艦艇数十隻を占拠、イギリス官憲と市街戦を展開するに至り、8月には対日戦勝記念日に弔旗を掲げて抗議しています。

 こうした英印軍将兵の蜂起やガンディーによる国民運動の結果、1947年8月、遂にインドは独立を果たし、インド政府はインド国民軍将兵に対して勲章を授与し、年金を給付しました。また、インド国会議事堂の正面に、インド独立の英雄3人の写真が、向って右側にガンディー、左側にネルー、中央にボースという並び方で掲げられています。


インド国民軍の興亡 その2 ~自由インド仮政府~

 1942年7月にインド独立連盟総裁兼インド国民軍司令官に就任したスバス・チャンドラ・ボースは、10月にはシンガポールに自由インド仮政府を樹立してその主席に就任し、連合国に対して宣戦を布告しました。

 自由インド仮政府は実際に領土も有しており、日本軍によって解放されたベンガル湾のアンダマン諸島とニコバル諸島に官吏を派遣して統治しました。この自由インド仮政府を日本、満州、中国(南京政府)、タイ、ビルマ、フィリピン、ドイツ、イタリアそしてクロアチアが国家として承認しました。

 1944年3月、日本軍によるインパール作戦が発令され、当時兵力約45,000に達していたインド国民軍も、インドを解放すべく、兵約6,000をインパール作戦に従軍させました。しかし、この作戦は補給を無視した成功の望みの殆どない犯罪といって良い作戦であり、日本軍は6月には総崩れとなり、インド国民軍も日本軍とともに敗走しましたが、兵力約6,000のうち帰還できたのは僅か700程でした。(続く)


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自由インド仮政府発行の切手

インド国民軍の興亡 その1

 インド国民軍は第二次大戦下の太平洋戦線において日本側に与して戦った軍で、英印軍捕虜及び東南アジア在住の民間人志願者を以て編成されました。

 インド国民軍が編成されたのは、日本軍がマレー、シンガポールを攻撃していた頃で、インド独立連盟の管轄下に置かれましたが、当初は内紛に明け暮れるばかりでした。この状況を収拾すべく、日本はインド国民会議派の急進派の大物で、当時ドイツにおいてインドSS義勇軍を編成していたスバス・チャンドラ・ボースを日本に招聘しました。ボースがインド独立連盟総裁兼インド国民軍司令官に就任すると、内紛は収まり、将兵の士気は高まりました。

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ガンディー(左)とボース(右)

 スバス・チャンドラ・ボースはインド国民会議派の議長に就任したこともある同派の急進派の大物で、穏健派のガンディーやネルーと対立関係にあり、現在の日本ではそれほど知られてはいませんが、インドでは現在でもガンディーやネルーと同じくらい有名且つ人気があります。(続く)


東トルキスタン共和国

 東トルキスタン共和国はウイグル人、カザフ人等がロシアの支援を得て、1944年に中国の支配を脱するべく東トルキスタン西北部に建設した国家です。東トルキスタン共和国の簡単な歴史については下記URLをご覧下さい。

http://ameblo.jp/yamasiro02/entry-10952636384.html
http://ameblo.jp/yamasiro02/entry-10953684464.html


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歴史の常識を疑う@やましろや

Author:歴史の常識を疑う@やましろや
秘密結社、ミニ国家、古代文明、、、
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