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敬神党

 明治初期の士族反乱中最大の戦果を挙げた神風連の乱。これを起したのは敬神党ですが、この敬神党、熊本藩の派閥に起源を有する一派です。

 熊本藩には教育方針を巡って、朱子学を奉じる学校党、神道を奉じる勤皇党、改革派の実学党の3派があり、敬神党は言うまでもなく勤皇党に属していました。

 そして勤皇党のうち、明治新政府による開明的政策に不満を抱いた復古派ともいうべき人々が設立したのが敬神党というわけです。


 これまで2回に亘り神風連の乱とその主体についてご紹介しましたが、より詳細を知りたい方には下記書籍をお勧めします。



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神風連の乱

 神風連の乱は、明治初期に続けて起った士族反乱の一つと言われていますが、他の佐賀の乱、秋月の乱、萩の乱、西南戦争、その他東京での旧会津藩士による騒擾事件や紀尾井坂の変といったものを含めても、士族反乱の一つとして含めるべきものか?と思います。

 というのは、神風連の乱と他の反乱・騒乱に共通するのは不平士族によるものという1点しかなく、それ以外はむしろ神道「原理」主義に基づく反乱としての特徴ばかりで、あくまで士族の権利を主張する他の諸反乱と大いに異なるからです。(実際のところ、神道に原理などというものはなく、単なる呪術的原始宗教に過ぎませんので、「原理」としています。)

 実際、当時の明治政府も神風連=敬神党を頑迷な復古主義者としか認識しておらず、それ故に監視の対象外となっていたため、彼らの蜂起は全くの寝耳に水だったようで、彼らは瞬く間に熊本鎮台司令官(師団長)、熊本県令を殺害し、熊本鎮台に進入して兵士たちを次々に殺害、挙句に砲兵営を制圧するという、士族反乱最大レベルの戦果を挙げています。


紀尾井坂の変

 1878年5月14日、内務卿大久保利通が石川県士族島田一郎らによって紀尾井坂で暗殺されました。これを紀尾井坂の変と言います。

 大久保を暗殺したのは、石川県士族島田一郎、長連豪、杉本乙菊、脇田巧一、杉村文一及び島根県士族浅井寿篤の6名で、首謀者は島田と長でした。

 島田と長は西郷隆盛の征韓論に共鳴して、西南において士族反乱が続発した頃から、石川県でも蜂起しようと計画していましたが、思うように人数が揃わないうちに、西南戦争の大勢が決してしまったため、目標を蜂起から政府首脳部暗殺に切り替えたと言われています。

 彼らの暗殺計画は警察に漏れていましたが、当時の警察長官川路利良が「石川県人に何ができる?」と彼らを見くびって対処しなかったため、暗殺を防ぐことはできませんでした。当時から日本人の情報軽視には深刻なものがあったようです。


ゲルマン騎士団

 ゲルマン騎士団は、1912年、新テンプル騎士団とアルマネン秘法伝授団とが合併して設立されたオーストリアの秘密結社です。

 アルマネン秘法伝授団の「アルマネン」とは、超古代に存在したとされる人種のことで、これが後にナチスの「アーリア人」に多大な影響を与えることになります。

 ゲルマン騎士団は、世界転覆の陰謀をたくらむユダヤ秘密結社の存在を前提とし、これと闘う事を目的としており、第一次大戦後、同じく反ユダヤ主義を標榜し、ナチスの思想的母体となった「トゥーレ協会」と合併することになり、いよいよナチスの登場となります。


新テンプル騎士団

 新テンプル騎士団は、1889年、ドイツでテンプル騎士団の信奉者によって設立され、テンプル騎士団直伝と称する儀礼や位階制度を有していました。

 とはいえ、新テンプル騎士団を有名ならしめているのは、テンプル騎士団「直伝」の儀礼というよりは、純血種の「アーリア人」を生み出そうという思想の方であり、この思想がナチスに強い影響を与えたと言われているからです。


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歴史の常識を疑う@やましろや

Author:歴史の常識を疑う@やましろや
秘密結社、ミニ国家、古代文明、、、
不思議なもの、謎の多いものを取り扱って行きます。

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