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百済王

 前回、百済郡を取り上げましたが、その百済郡を本拠としていた百済王氏のその後を見ておきましょう。

 初代の百済王善光は公卿クラスの位階にありましたが、2代目以降は、黄金を献上した功績により卿に任命された百済王敬福を除いて概ね四位の大夫クラスとして遇されており、傍系の宗室諸王や藤原氏等とほぼ同等だったと思われます。

 百済王氏は平安時代に入っても大夫クラスの地位を維持していましたが、平将門が活躍していた当時に武蔵守として赴任した百済王貞連を最後に歴史の表舞台から姿を消しました。

 しかし、その間に摂津国難波から河内国交野に移転した百済王氏はその後も存続し、三松(みつまつ)という名字を称して、百済王神社の神官として明治に至り、大正期には三松俊雄という人が枚方市長に選出されています。


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百済王神社本殿

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