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シナの民族浄化 ~同治回乱4~

 一進一退を続ける回族蜂起ではありましたが、この頃梁王張宗禹の西捻軍と遵王頼文光の東捻軍を除く太平天国の残存勢力はほぼ鎮定されていたため、清廷は回族蜂起を鎮圧すべく、太平軍鎮定に功績のあった左宗棠を陝甘総督(陝西・甘粛両省長官、文正二品)に任命し、大軍を陝西・甘粛に振り向けました。

 左宗棠は1867年夏からほぼ全ての兵力を陝西に集中し、苦戦の末この地をほぼ鎮定した後甘粛に侵攻、甘粛の回族蜂起軍が4つの大集団に分れて相互に余り連携がなかったため、一つづつに兵力を集中して行きました。

 まず、最も東に位置する寧夏の馬化龍の勢力との戦いとなりました。馬化龍の集団が頑強に抵抗したため、ここでの戦闘は1869年秋~1870年12月まで続き、遂には清軍の勝利となりましたが、清軍も総兵(師団長、武正二品)劉松山、簡敬臨以下多数の将兵を失いました。

 次に戦闘の舞台となったのが河州で、1871年7月、準備を整えた清軍が三方向から河州を攻撃しました。このとき、陝西回族蜂起軍残存勢力の赫明堂、白彦虎等が河州の応援に駆けつけて、清軍に大きな損害を与えたため、左宗棠は馬占鰲に降伏を呼びかけ、1872年3月、馬占鰲は勧誘に応じて降伏しました。赫明堂はこのとき逮捕処刑され、白彦虎は残兵をまとめて撤退しました。(続く)


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