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雲南回族蜂起 ~大理政権勢力拡大~

 大理政権成立当時、江南では太平天国、天地会、ミャオ族、トン族等が、江北では捻軍、白蓮教、金丹教等が続々と蜂起しており、清廷がこの地域に割ける兵力は限定されていました。

 そのため大理軍は清軍を相手に優位に戦いを進め、1857年には提督(軍管区司令官、武従一品)文祥率いる清軍を、1859年には漢人団練の攻撃を斥け、1860年、総兵(師団長、武正二品)褚克昌率いる大軍が大理を制圧すべく進軍してきたため、大都督蔡発春率いる大理軍がこれを迎撃して大破し、9月、賓州において撃滅、褚克昌も戦死しました。以後、大理軍は連戦連勝で、1861年秋までに雲南西部を勢力下に置きました。このような状況下にあって、雲南巡撫(雲南省長官、文従二品)徐之銘は、1862年、杜文秀と並ぶ勢力を有する馬如龍(回族)を署理(代理)総兵に任命して味方につけることに成功しました。

 1863年春、馬如龍の裏切りに不満を抱いたその部下の一部が馬如龍の不在中に昆明を急襲してこれを占領し、大理に引渡そうとしましたが、大理軍が到着する前に、雲南布政使(雲南省次官、文従二品)岑毓英(チワン族)が馬如龍の支援を得てこれを奪回しました。6月、岑毓英は余勢を駆って大軍を率いて大理を攻撃するも、1864年2月に大敗し、1867年2月には、署理雲南提督馬如龍が大理を攻撃しましたが、またも敗れました。


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