スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

広東天地会蜂起 その1

 天地会は「反清復明」をスローガンとする秘密結社で、太平天国革命よりずっと以前、1786年、台湾における林爽文の乱により歴史の表舞台に現れ、以後も主として江南において活動していました。

 1850年、太平天国革命が勃発すると、多くの天地会員たちが太平軍に参加しましたが、それとは別に1853年には上海小刀会、福建小刀会、福建紅銭会が蜂起しました。本稿では、1854年に広東における複数の天地会系結社の一斉蜂起を取り上げることにします。

 1854年6月、広東省東莞県において何六率いる天地会が蜂起して県城を占領すると、仏山鎮において陳開が、広州において李文茂、甘先、周春等が、珠江南岸において陳顕良が蜂起して広州城を包囲し、一挙に省内の府州県40余を占領しました。これに対して両広総督(広東・広西両省長官、文正二品)葉名琛、広東巡撫(広東省長官、文従二品)柏貴は緑営兵4,000、八旗兵1,300に加え、郷勇43,000を集めて反撃に出ました。まず、7月18日、緑営兵3,000が出撃したものの、この情報を得た李文茂が伏撃してこれを撃滅し、続いて郷勇5,000が出撃したものの、これも三元里において大敗しました。度重なる敗北に清軍が篭城策を採ったため、8月、蜂起軍は広州に総攻撃を加えましたが攻略できず、そうこうしているうちに清軍が再び反撃に出て、翌年1月までに蜂起軍を各個撃破し、広州を包囲する全ての蜂起軍を一掃しました。(続く)


スポンサーサイト

コメント

Secret

プロフィール

歴史の常識を疑う@やましろや

Author:歴史の常識を疑う@やましろや
秘密結社、ミニ国家、古代文明、、、
不思議なもの、謎の多いものを取り扱って行きます。

中国の歴史歪曲、韓国の歴史捏造2
もよろしく!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。