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広東天地会蜂起 その2

 1855年5月、敗れた陳開、李文茂等は、広西において天地会の蜂起が相次いでいることを知り、それに合流するため、追撃してきた清軍を破って広西に入りました。陳開等はまず悟州城を攻撃しましたが攻略できず、目標を潯州城に変えて激戦の末、9月27日、城内に突入し、潯州府知府(日本の県知事に相当、文従四品)劉体舒、桂平県知県(日本の市長に相当、文正七品)李慶福を殺害して、これを占領しました。ここに陳開は大成国を建国し、潯州を秀京と改称し、年号を洪徳と定め、貨幣として洪徳通宝を発行しました。そして、10月から翌年10月にかけて勢力を拡大し、象州、貴県、平南県、武宣県を攻略しました。

 1856年10月、陳開は鎮南王に就任し、李文茂を平靖王、梁培友を平東王、区潤を平西王、梁昌を定北王に封じ、更に李文茂を陸路総管、梁培友を水路総管に任命して、北東西の3方に攻勢をかけることを決定しました。11月、平靖王李文茂率いる成軍が柳州を包囲して翌年3月にこれを攻略し、ここを龍城府と改称して平靖王府を設置し、官制を定めました。更に9月までに悟州、南寧を占領して、大成国は最盛期を迎えました。


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