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捻軍蜂起 その4

 1865年1月まで、太平軍と捻軍の連合軍は、騎兵の機動力を以てセンゲリンチン率いる清軍を攪乱し、清軍に出血を強いました。このような状況の下、清の中央政府は湘軍の創設者であった曽国藩に出撃を命じましたが、曽国藩は勢力を温存することに努めて、熱心に戦うことをしませんでした。そのため、センゲリンチンは数千キロもの距離を縦横無尽に駆け回る連合軍を単独で追跡する羽目に陥り、疲労の極に達しました。

 5月18日、連合軍数万がセンゲリンチンの清軍1万数千を山東省高楼塞において伏撃してこれを殲滅しました(センゲリンチンも戦死)。センゲリンチンの死により、清は満州・モンゴル人から成る有力な軍を失ってしまい、以後益々漢人大官の組織した湘軍、淮軍に代表される郷勇に頼らざるを得なくなって行きます。

 それはさておき、1866年夏、清中央政府は両江総督(江蘇・安徽・江西三省長官、文正二品)曽国藩を起用しましたが、東西の2つに分かれて夫々縦横無尽に駆け回る連合軍に翻弄されるばかりで何の役にも立たなかったため、1867年末、曽国藩に代って湖広総督(湖北・湖南両省長官)李鴻章が起用されることとなりました。


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